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現在地:東京都八王子市別所二丁目
東京都道158号小山乞田線(通称:南多摩尾根幹線道路)を走っていると、長池公園付近に本道を跨ぐ陸橋がある。
その見た目は歩道橋といった小規模なものではなく、車道用のそれであるが、しばらく眺めていても車両も含め通行人の姿は見当たらない。
結論から言うと、この陸橋とその前後の区間は都道158号の旧道であり、現在でも多くの地図で都道色に塗られている。
まずは現道を橋の下まで行ってみる。
橋は2車線ほどの幅があり、片勾配となっている。
橋台に銘板が取り付けてあった。
「1996年 3月 東京都建造 下部施工㈱福田組」とのこと。
現道をパスするために新たに架けられたものと思われる。
冒頭の地点まで戻ってきた。
住宅会社と運送会社に挟まれるかたちで旧道への分岐がある。
過去の航空写真を確認すると旧道はこの奥を左右に通っていたため、進入防止柵のところまでは後年の取付道ということになる。
ところで、旧道お馴染みの「車両通行止」看板があるが、名義が南多摩東部建設事務所でも町田市でもない「㈱アースエンジニア」となっている。
……
誰だ、お前!
え、何?私道なの?
もうひとつ!
これは同じ位置から現道を撮ったものだ。
正面には青看があり、上下分離されているので右折方向に進入禁止標識が描かれているのは問題ないだろう。
左折方向は相模原、南大沢を案内しているが、その路線番号は503番のヘキサである。
……ん?503?
路線図によると都道503号相模原立川線は、この先、南多摩斎場入口交差点から合流(重複)してくるが、ここは都道158号の単独区間のはず。いや、仮に重複していても番号の若い方を表示するのがお決まりのはずだ。
それに3枚上の画像を見てほしい。右上に158番のヘキサがしっかりと写っているじゃないか。
そもそも、支柱に都道お馴染みの管理ステッカーが貼ってあるが、管理番号158と書いてある。
自己矛盾してるぞお前
溢れ出るチグハグ感にニタニタしつつ旧道へ進入すると、早速センターライン付きの道が現れた。
なお、この道はこの先現道に合流するまでの間、別所2丁目と上小山田町の境界線と重なっている。
左右から藪が侵食して来ていたり、路面が苔むしていたりするが、現在も通行人がいるのかシングルトラック分はアスファルトが露出している。
特に苦労もせずに橋に到達する。
路側帯が無ければギリギリ2車線といったところか。
銘板からこの橋の名前が「長池上小山田陸橋」であることが分かった。
橋上から唐木田方面を眺める。
現道を走るドライバーが普段人影のない橋に人が立っていることに対して、少しでも驚いてくれればというささやかな悪戯心である。
橋の先は曲線となっている。それにしても視界の先がモッコモコだ。
橋を渡るとすぐに道は左へ折れるが、その際、右手に鉄塔を見ることができる。
一連の施設は在日米軍の由木通信所であったが、訪問の翌年、2016年7月1日付で日本に返還されている。
いいねー
廃道として王道と言える景色だ。
先程から進行方向右側にフェンスが続いているのだが、規制標識君、君はフェンスより道路側にいるべき存在だろう。
ここの直線なんか最高だ。
山間部の現役県道なんかにもこんな感じのところがあるが、ここは都内で幹線道路から1本裏に入っただけである。
区間中、最も道幅が狭くなるのはここだった。
だが、それも一瞬のことですぐに1車線幅に戻る。
ここには長池公園の入口があり、ここから先は通行量もそれなりにあるはずだ。
最後に左カーブを抜けていくと現道に合流し終点となる。
……こっちの青看も503号なのね。
現道時代は奥にある黄色の建物の脇から延びる道と一連であったが、現在はご覧のように分断されている。
現道から来た道を振り返る。
現道開通以前は今立っているところから正面奥まで直線状に道が存在した。
最後にその航空写真を見てみよう。
今回紹介した道は高度経済成長期の造成の際に生じた道なのかと思っていたが、迅速測図にも細くも描かれているそれなりに歴史がある道のようだ。
1947年の航空写真にもはっきりと写っており、60年代初頭までには周囲の幹線道路網が出来上がっている。
75年頃は多数の畑と疎らに家が広がる田園風景がまだ残っていたと想像できる。
89年になると宅地造成の手がすぐ近くまで迫って来ており、西側には既にニュータウンが完成している。都道158号についても大方の買収が終わっているのか道路予定地が確認できる。
21世紀を目前とした97年には中央部にも建物が立ち始め、都道158号については前後の区間が明瞭になってきた。前年には長池上小山田陸橋が完成しており、航空写真でもその姿が確認できる。
直近の2008年になるとひと通りの開発を終えたようで都道158号も北東から南西に一直線に繋がった。しかし、それに伴って旧道は分断され現在の姿となった。
以前、この周辺を1990年代から2000年代にかけて定点観測したサイトを見た覚えがあるのだが、そこでも造成から取り残された道が写っていたのを憶えている。この道がそれだったのかもしれない。
なんにせよ、東京都西部において手軽に歩ける廃道としておすすめしたい。
(完結)
参考資料
FAC3162由木通信所の全部返還についてhttp://www.mod.go.jp/j/press/news/2016/07/01a.html
変更履歴
2017.9.27 公開2019.3.11 移転に伴う改訂
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