埼玉県道28号青梅飯能線旧道・畑トンネル

調査日:2016.12.24

東京都道・埼玉県道28号青梅飯能線は東京都青梅市上町と埼玉県飯能市東町を結ぶ全長13.5kmの主要地方道である。
飯能市下畑に1kmほどの旧道が存在するので紹介したい。

12:27
現在地:埼玉県飯能市下畑
現在地は東京都と埼玉県の境界で、青梅飯能線のこの先4.5kmが埼玉県区間である。
ちなみに写真は掲載していないが、この付近に東京都交通局が設置した都営バスの自由乗降区間である旨を示した看板が立てられており、都営バスが他県に乗り入れる唯一の区間でもある。

現道はこの下畑交差点を右折し飯能方面へ直線的にグイグイ上っていく。
我々はもうしばらく道なりに進むが、道はここから埼玉県道・東京都道193号下畑軍畑線に名前を変える。

右折可能な広めの道を探して自転車を漕ぐこと350m。大きめの丁字路を見つけた。

ちょうどその時、向かいからバスが走ってきた。
国際興業というバスで、主に23区北部から埼玉県南部にかけて路線網を展開しているが、飛び地的に飯能地区にも路線を持っている。これは戦後まもなくの頃に飯能交通という乗合自動車会社を買収したという経緯がある。
2010年代に入ってからは不採算を理由に飯能地区からの撤退を検討していたが、後継事業者も見つからず、赤字を飯能市が補填するというかたちで一先ず落ち着いているようである。お隣の青梅市でも民間事業者が匙を投げた結果、都営バスが公共交通網を維持する状態となっている。

閑話休題。
丁字路を曲がった先には1.5車線ほどの道が続いている。
その道の入り口には飯能市名で車両通行止を通知する看板が2つ立てられており、ただの生活道路でないことを物語っている。

旧道に入ると柱が錆びついた青看と同様に錆びついた警戒標識「その他の危険」が出迎えくれた。行政からは忘れ去られているようである。

旧道に入ってから150mほどの所にゲートが設置されているが、二輪や歩行者は難なく通過できる。

ゲート横にある道界標石。埼の字が異字体になっている。

ゲートを過ぎると途端に山道の様相となる。

一つ目のカーブを曲がったところで振り返って撮影。なかなか見通しの悪いカーブだ。

何年分の落ち葉が積もっているのだろうか。路面全体に積もっており、轍もなければこれといった踏み跡もない。

旧道唯一のヘアピンカーブで標高を稼ぐ。
湿っている落ち葉+上り勾配のコンボで自転車が空転しないよう後輪に体重をかけながらゆっくり上っていく。

ヘアピンを抜けてから枯れ枝も散乱しはじめ、路面の状況は一段階悪化した。

おっ!

【畑トンネル】
明治43年竣工、延長78m、幅員5.3m、限界高3.9m

12:50
畑トンネルに到着。
しかし、草木に覆われており全体像を見ることは出来ない。

それでも、坑口真下まで行くと翼壁や笠石があることが分かる。

来た方向を振り返ると、思いのほか植生の侵食が激しい。また、水捌けが悪いのか坑口前は泥水が溜まっている。

反して、トンネルの中は静寂に包まれていた。
コンクリートの路面はよく乾いており、レンガ壁の状態も良さそうだ。

トンネルを抜け、飯能側の坑口を振り返る。
こちらは質素な造りになっているが、それよりも左右の法面が強い圧迫感を生み出している。

少し進んでから振り返って撮影。飯能側から来ると左急カーブの直後にトンネルがある。

改めて進行方向を見る。
道はトンネルを抜けてから、引き続き掘割の中を通っている。また、同様にトンネルを抜けてから1度もアスファルトが露出した部分は無く、砂利が敷かれている。

付近に飯能市が立てたと思われる畑トンネルについての説明板がある。せっかくなので全文を掲載したい。

畑トンネルの歴史

飯能と青梅との経済、文化の交流は明治以前から盛んであった。飯能から青梅に行くには加治、岩潤回りと大河原、赤根峠、苅生経由以外には道路はなかった。このため地域の要望により飯能町長と南高麗村長共同で県の補助道に編入し一日も早く(トンネルを)開さくしてもらいたい旨県知事宛明治三十年五月陳情した。当時は日露戦争の影響などで実現出来なかったが、ようやく明治四十一年飯能青梅道として着工された。
岩をくりぬいたトンネルは秩父方面にはあったが煉瓦巻のトンネルは埼玉県第一号、経費は、参万八千六百九十七円二十一銭で明治四十三年三月三十一日完成した。(当時の物価人夫賃二十五銭から二十八銭。大工八十銭、酒一升四十銭、煉瓦一個二銭)
開通より七十七年間県道として利用されたが昭和六十二年十二月二十四日バイパスの完成により市道となった。
県道から市道になったと言っても南高麗地区をはじめ地域の発展に大いに役立ってくれた歴史に残るトンネルだ。長い間ご苦労様でしたとお礼申し上げたい。
平成元年一月
飯能市長  市川宗貞

この手の説明板には珍しく市長から感謝の念が記されており、トンネルに対して敬意が感じられる。

市史においても、畑トンネルについて写真付きで触れられており、工事は難航をきわめたと書かれている。
下にその写真を転載した。地形やポータルから青梅側を撮影したものであろう。それらは竣工から1世紀経った現在でも崩れることなく残っている。
余談だが、説明板に名前が出てくる大河原から赤根峠にかけての古道については、近年の造成によってその大半が消失してしまったようである。
飯能市史通史編より転載

最後に現道との合流点について述べたい。
3枚上の写真から分かるように、道の先には仮囲いがあり、自転車はおろか徒歩による正面突破もできず、旧道自体が袋小路の状態となっている。
よって、ここを脱するには、法面を適当によじ登って市道に出るか、来た道を引き返す他にない。
なお、仮囲いの向こうには飯能市ごみ処理センターがある。

写真は法面を登って市道に出た後の場面。
旧道は左の道で、完全にごみ処理センターの搬入口と化しており、現役時代の面影は見当たらない。
数年前までは青梅側と同じ様な簡易なゲートしか無かった様だが、現在では守衛が常駐しており、進入しようとすれば引き止められること必至である。

探索を終えて、畑トンネルの存在を歴史に残すためにも、飯能市には畑トンネルの説明板を廃道に放置するのではなく、付近の空いているスペースに移設して欲しいものである。


(完結)


参考資料

飯能市史編集委員会(編)・飯能市史 通史編
飯能市・畑(はた)のトンネル(That's郷土館23年12月号)
http://www.city.hanno.saitama.jp/0000002999.html[リンク切れ]
日本全国トンネルリスト(埼玉県)
http://www.tunnelweb.jp/list/list.html
旧道倶樂部・隧道の構造に就て
http://www.kyudou.org/KDC/structure/structure.html
飯能百景99・畑トンネル
https://ghosts.xrea.jp/daylight/100/100-099.htm
飯能市・国際興業(株)飯能営業所の撤退に関する市の対応について(再掲)
https://www.city.hanno.lg.jp/article/detail/327

変更履歴

2017.2.9 公開
2019.6.23 移転に伴う改訂

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