山梨県道508号大菩薩峠線(前編)

【前編】【後編】

調査日:2017.6.24

11:34
現在地:山梨県小菅村
画像正面の建物は小菅村役場である。
村概要などを見ると丹波山村とともに一般行政のほか高齢化や財政難などの課題に少数の職員で対応にあたっており(行政職20人前後でひとつの村を運営している)、彼らには尊敬の念を抱かずにはいられない今日この頃である。
(雑談だが、仮に小菅村と丹波山村が奥多摩町に吸収合併されると奥多摩町の面積は1.68倍の379.48平方キロメートルとなる。これは千代田区の32.5倍の面積で東京都全体の16%を占めるまでになる。なお、そのうちの95%が山林である。
もっとも、平成の大合併の際は越境合併となること、奥多摩町が今以上の広大な面積を抱えることに難色を示すなどしたため、具体的な話には発展しなかったようである。小菅村では松姫バイパスの開通により大月への距離が大幅に縮まったためか、最近はそちらに関心が向いているとかいないとか。雑談終わり。)

それはともかく、今回何をしようかというと単純に言って峠越えである。
その峠の名は…大菩薩峠。大菩薩連嶺の一角を成す標高1897mの峠である。
目指す大菩薩峠まで私を導いてくれるのは、山梨県道508号大菩薩峠線であるが、起点からすぐのところにある青看から早速「この先7km交通不能」と予告される。
交通不能区間が存在することは地理院地図から分かっていたが、車道区間は、5.6kmを見積もっていたため、7kmという数字を見て首をかしげざるを得なかった。

200m進むと右に別れる道がある。ここまでの僅かな距離を重複していた県道18号上野原丹波山線は今川峠を経て丹波山村に至る。
本格的に走り始める前に具体的な経路を説明する。これから私は県道508号を西へ進み終点の大菩薩峠を目指す。峠を越えた後は上日川峠まで下り、山梨県道218号大菩薩初鹿野線を南下し甲斐大和駅に抜けて輪行での帰宅を予定している。

恐らく本道唯一のヘキサ。
ここから大菩薩峠そのものは見えないが、奥に見える山の稜線まで登らなければならないことは理解された。

橋立集落内から本格的な登り坂が始まる。
この県道自体は明治初年に開通した大菩薩峠経由の青梅街道が元になっている。
明治11年には柳沢峠を経由する新道が開通するため、現道として活躍した期間は短かった訳だが、古来から存在する小菅道や丹波山道に比べて、尾根までゆっくりと登っていくため、幾分の改良が成されたといえる。

村役場から2.2km。右に分かれる林道らしい道との分岐点から県道は砂利道(地理院地図においては軽車道)となる。交通不能区間でない県道で砂利道というのは、関東ではあまり見かけない気がするので少し新鮮な気持ちだ。

そんな砂利道を2.5kmほど進むと突如としてアスファルトが復活した。
見れば林道小菅線を案内するオブジェクトもある。よくある不通県道の代替になる県営林道なのかと思ったが、どうやら違うらしく管理者は東京都水道局となっている。
なるほど、多摩川の源流域、水源林ということで東京都が面倒を見ているのだな。
舗装も潤沢な資金力がなせる技かなどと邪なことを思いつつ、先へ進む。

ゲートを過ぎると橋が現れた。
昭和31年3月竣工で名を白糸滝橋という。

白糸の滝へはここから遊歩道を歩くこと5分だというが、後ろの時間を気にしていたので立ち寄ることはしなかった。
遊歩道入口にある橋があまり見かけない形をしていたのが気にはなった。

快適な舗装路も少し走ると再び砂利道になってしまった。
画像はその近辺で撮影したもので道路附属物と思われるボックスだが、用途が書かれていないため正体は不明である。
定番なのはスリップ防止砂だが、砂利道に砂を撒くというのも疑問符であるし、標高が900mある事を思うと凍結防止剤というのも考えられる。結局のところ、撒いてみないことには効力が分からないパンドラの箱である。

12:28
現在地:山梨県小菅村
村役場から自転車を漕ぐこと約1時間。やっと登山県道の入口(以下、登山口)に到着した。既に一仕事終えた感があるが、まだ、スタート地点に着いたに過ぎない。
また、距離的には村役場から5.6kmしかなく、やはり冒頭の青看は過大表示気味であった。この先2km先の雄滝までは車道が敷かれているようなので、県道7km先交通不能ではなく道なり7km先交通不能ぐらいの意味だったのかもしれない。

12:55
20分ほど昼食休憩をとり、進行再開。
探索時にそこいらの石垣や擁壁に腰掛けて摂る食事は格別である。

ところで今回の調査の目的を書いていなかったので、ここいらで説明しておきたい。
今回の主目的は大菩薩峠西側の上日川ダムに存在する“ある物“である。
”ある物”は葛野川発電所に関係があり、上日川ダムのほか葛野川ダムにも存在するようだが、葛野川ダムについては東日本大震災以降ないし松姫バイパス開通後は万年閉鎖されており、一般人の私が訪問することができなくなっている。
必然的に上日川ダムに赴く必要があるのだが、たまたま松姫湖に用事があったため、再び大月に下りて登り返すよりかは不通県道走破も兼ねて小菅村・大菩薩峠経由のルートを選んだのである。

登山道区間に入り、すぐに沢を渡る。
近世の道よりは(地図上は)緩やかになったとはいえ、ここを自転車同伴で登っていくのは骨の折れる作業になりそうだ。

13:20
纏まった長さの石垣が現れる。
これだけ力を入れて施工されているところに、旧青梅街道というかつての重要幹線を感じることができる。

歩き初めから40分が経過。ここまでの8割以上はこの様な景色である。
登山口から1.4km、標高は230m登って1130mとなった。
地図を確認すると登山口で分かれた林道からあまり離れておらず、労力に対する「進んで無さ」を実感しかえって疲れる結果となってしまった。
この先も概ね30分に一回は水分補給休憩をはさみながら先へ進んでいく。

しばらく間が開いて、現在の時刻は14時38分、標高は1480m付近である。ここでは真新しい石積みに遭遇した。
恐らく斜面が崩落し、その復旧工事の結果なのだろうが、単に土砂を押し出し平らにして終わりではなく、新たに石を積んで路肩保護に努める律儀さに感心した。
現地調達で無ければ、重機の入れない山奥に人力で運んで積み上げたということなのだから。

尾根を回り込む。
軽い掘割になっており、テンションUP↑

私が今歩いているのは廃道ではなく、多くのハイカー野郎が歩くメジャーな登山道である。
よって、路盤は整備されているし、危なそうな箇所には画像のように桟橋などが架けられている。

15:13
現在地:山梨県小菅村
歩き初めから2時間20分が経とうとしたところで「フルコンバ」という場所に出る。漢字で「古飯場」と書けるが諸説あるようで要調査である。
ここは地形的に峠となっているほか、丹波山村方面から登ってきた丹波山道ともここで合流する。
ここまで4.3km歩いて、標高は740m登り1640mとなった。既に柳沢峠より高い所にいる。
残距離は1.5km、峠まで4分の1を残すところなった。対して残りの標高は257mであるので、最後までこのままの勾配のペースで登っていくことが確定してしまったが、ここまで来たら前進あるのみだ。

フルコンバからの見晴らしについては、周りに山しかないもののそれなりに開けている。

古来からの呼び名がありそうな張り出した大岩。
フルコンバまでの道は、ともすれば牛馬も通れそうな道幅と安定した路盤があったが、フルコンバ以降は一段階ランクが落ちて近世からある未改良の道の色が濃くなった。

こちらは「ニワタシバ」という。
正面を登っていくのが峠への道で、左を降っていくのが山道である。
……あなたが言いたいことは分かっているつもりだ。「三方向全て山道だろう」と。しかし、右の道標にしっかりと「山道」と書いてあるのだから仕方ない。
結局、どこにたどり着くのだろう?…

ここは文字通り、荷渡場となっていたようで塩山側と小菅側の相互で(無言)貿易が行われていたそうである。

ニワタシバを過ぎると峠までもうひと息の領域に入るが、路面が岩場となる場面が増えてくる。
チャリ持ちの場合、都度前輪を持ち上げなければならないのでなかなかにしんどい。

空模様も少々怪しくなってきた。
下山までもってくれると良いのだが。


(後編へ)

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