茨城県道158号上金沢栃原線交通不能区間(前編)

【前編】【後編】

今回紹介する茨城県道158号上金沢栃原線は大子町上金沢から同町栃原を結ぶ延長約9.9kmの一般県道である。 
全線が供用済みであるが、相川と栃原の間の峠付近約2.5kmが交通不能区間となっている。

調査日:2020.9.22
13:52
現在地:茨城県久慈郡大子町大字栃原

この日の探索の都合上、終点側から辿ることにした。

写真は本路線の終点である県道32号大子美和線との交点。


丁字路から広めの1車線の道が続いているが、入口には早速「この先1.0km全面通行止」の標識が立っている。

EP(エンドポイント)ペイント

県道に入ると文字ヘキサがある。
茨城県内の旧道などを巡っていると割とよく見かける気がするが、全体から見ると珍しいものらしく見かけたら撮るようにしている。
栃原側で見かけたヘキサはこれだけだった。

14:00
県道32号との分岐から750m。
幅員減少の標識を過ぎると舗装が無くなる。

その先にも道は続いているようだが基本的には行き止まりというか転回場になっているようである。
ここまで民家は数軒しか無いので専ら林業関係者しか通行していないのではないか。

さて、地理院地図によると県道はこの辺りから徒歩道となって山に取り付く進路を取るらしいので先程から進行方向右側の斜面を注目して見ているのだが、どうも踏み跡や平場といったものが見受けられない。

いきなり道なき斜面を登って探し回るのも面倒だったので、とりあえず林道ぽい道を先に進んで行くと右に分かれていく踏み跡を発見。地理院地図でいうと谷筋の出合の辺り。ご丁寧にテープも貼ってある。

脇に馬頭観世音を発見。
「明治17年 右ハあいかわ 左ハおふたぢ」と道標も兼ねている。
あいかわはここから北にある集落、相川。おふたぢはおおたじ=太田路(常陸太田?)、大田路(栃木県大田原?)どちらだろうか?
左右の関係から後年になって現在の位置に移動された気配がする。

戦前の地形図では相川に行くためにはここでは曲がらず、もうしばらく南の尺丈山方面に進んだ後、適当なところで西側の稜線に取り付き、500m三角点のある地点を経由する道が描かれている。
馬頭観世音もその道に対してのものなのではないかと思う。

踏み跡に入った時から気付いていたが、ごく最近に刈払いが行われた形跡がある。切られた枝がまだ青かったり、草刈り特有の青臭い匂いがする。
おかげでスムーズに進めているが、太めの灌木が転がっている辺り、最近まで廃道状態だったのだろうか。

植林地の手前まで来た。
帰りに分かった事だが、このまま真っ直ぐ植林地の谷底を辿るのが目的の峠に辿り着く最短ルートである。

この時の私は刈払いがヘアピンカーブをもって続いているのを見つけ、それを辿ることにした。
入口では見つけられなかったが、地理院地図に描かれている道がある可能性を考えたのだ。

南に向かって一応平場が続いているのだが、地理院地図の道より低い位置にいる。刈払いが終わり、イバラに阻まれ進むこともままならなくなったため、峠の方向に引き返す。
植林地の中の道なき斜面を地理院地図の道を探しながら彷徨ったが、それらしい道は見つからなかった。

14:50
出発から1時間、やっと峠に到着した。先程から峠峠と言っているが、地図に名前の記載がないこの峠の名前を御存知の方がいれば御教示願いたい。
画像は登ってきた方向を写したものだが、ご覧のとおり全く展望がない。

峠から西に向かって下っていくが久しぶりに踏み跡がある。

ひとしきり下り進路を北に変えるが、徒歩道よりしっかりした軽車道レベルの道になった。

木橋がある……
かなり苔生していて穴まで空いているが、この橋は渡っても大丈夫なのだろうか。
踏み抜くと嫌なので橋桁の上を確かめながら渡る。

あれから何回か沢の両岸を行ったり来たりしているが、北上するにつれて橋の状態は良くなっている。

福島東幹線225号の標柱。
上に東京電力の送電線が通っているのでそれの絡みだろう。

軽自動車幅の轍が薄っすらと見える。
廃道区間を抜けた気がする。

進むにつれ轍が濃くなっていく。
路肩になぜか軽トラの廃車体が放置してあった。

もうそろそろかな?

前方に砂利道が見えてきた。

15:20
右手に久しぶりの建屋(作業場だろうか)が現れると砂利舗装に変わった。
必要な所まで整備を行った結果ということだろう。

振り返って撮影。

ちなみに作業場への分岐点にも廃車体がある。
ボンネットが長く角張っている。昔の林業用のトラックだろうか。

後編は1度バイクを取りに戻り、起点側から現在地までを辿る。

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