身延町道矢細工間遠線・雨降隧道(後編)

【前編】【後編】

前編の最後で予告したように後編は別の道で間遠側へ移動しそこから再び隧道を目指す。

08:40
現在地は県道421号遅沢静川線の間遠隧道南口の手前。
左側の草が生えていない部分から町道に入ることができる。

入口を見た時、本当に道が残っているのか不安に思ったが、足を踏み入れてみればしっかり残っていたので一安心した。

間遠隧道の横まで来ると県道の法面保護工によって道が消滅した。
仕方が無いのでブロックの枠の部分を伝いトラバースする。

ちなみに間遠隧道の開通は昭和8年で、開通後は度々起こる落盤に苦慮していたようである。その後、昭和42年から44年にかけて拡幅等の全面改修を行ったと中富町史にはある。
下の画像は町史から転載したもので、いつ頃撮影したのか記載は無いが、町史の発行が昭和46年なので少なくともそれ以前の様子ということになる。
左の木の裏の辺りを町道が通っていたはずだが、画像からはその存在は確認できない。
中富町史から転載

話を町道に戻す。
保護工のトラバースを終えると再び土の地面になるが、前方には沢があるだけで道が続いている雰囲気では無い。
もしやと思い振り返って見ると視線の先、保護工の向こうに平場が見えた。
今立っている場所は、ヘアピンカーブの折返し部分だったのだ。
よく見れば今歩いて来た部分もこれから歩く部分も保護工の傾斜が緩やかになっている。
腐っても町道敷ということか。いや、町道の上を保護工で固めたら駄目だろう。

再び保護工をトラバースし歩いて来た方を振り返る。
なんかカモシカが好きそうな地形だな。

進行方向に向き直すと、うん、ちゃんと町道の路盤がある。
ただ、原集落側と比べると隣接している集落が無いためか人の残り香が薄いというか、1段階荒れているように感じた。

などと感じていたら、突如、現代的なコンクリートブロックの擁壁が現われた。
これまでこの道の擁壁は石積みの擁壁が主体だったので、これは後年の修繕によるものだろう。
昭和の後半まで通行需要があったということだろうか。

新旧の擁壁が入れ替わり立ち替わりである。

ここでこちら側初めての大規模な崩落跡に遭遇する。
路盤にこんもりと土砂が堆積している。通過に関しては難しい部分は無い。

倒竹エリアに入り、竹を躱しながら進んでいくと、

倒木エリアに変わる。

倒木エリアを越えると両側を石積みで固められた切通しがある。

古い道における画像のような切り立った擁壁はいつ見ても美しい。

尾根を回り込むとまたしばらく倒木が散らかった状態が続く。

こちらも路盤が決壊した跡だ。
奥に石積みの擁壁があり、連続してブロックの擁壁が手前に延びている。
修繕も虚しく手前側が崩れてしまったが。

道幅が一層狭くなり、心なしか撫肩状になっている気さえもする。
そして、道は緩やかに左にカーブしているがその先は明るい。

隧道キター!!

09:07
1時間半ぶりに隧道の反対側に来た。
こちら側の坑口も山側に水たまりが出来ているが谷側は堆積物があるためか道幅全体に亘る水没は免れている。
そういえば、隧道の諸元を記載していなかったので今更ではあるがここで紹介したい。

雨降隧道
竣工:昭和15年
延長:33m
幅員:3m
有効高:2.3m

この隧道は戦前生まれの隧道であった。
この道の建設経緯は不明だが、中富町史を読むとこの時期は失業対策事業として町内の多くの場所で道路の改修や整備を行っていたようなので、この道もその一環で整備されたものではないだろうか。

 ちなみに今回、隧道名を特定できた経緯についてだが、前提として、現在、道路法上の道路にある構造物(トンネルや橋など)は、道路管理者による5年に1度の点検が義務付けられており、その点検結果は国土交通省が取りまとめ、翌年度に道路メンテナンス年報として公表されている、
 しかし、平成26年度から平成30年度までの1巡目の点検結果には本隧道の記載はなかった。これは点検対象外となる場合があり、通行止の措置されている場合や林道や農道など別の法令による道路の場合、道路の供用が廃止され廃道敷になっている場合などである。
 国土交通省とは別に道路管理者が点検結果を公表している場合もあり、身延町の場合、「身延町トンネル長寿命化修繕計画」として結果と今後の方針を公表していた。その中に「身延町で管理しているトンネルは8本あり(うち1本は全面通行止となっており定期点検対象外)~」という記載があり、どうやら記載されていない隧道が1本ある様子。身延町には他にも何本か隧道があるが、いずれも国道や県道、林道の隧道であり、管理者の検討がつかない隧道は数本しか心当たりがない。
 この隧道が町で管理する隧道なのか、そうでない場合、該当の隧道がどこにあるのか気になったこともあり、町役場に問い合わせたところ、この隧道が町で管理している残りの1本であるとの回答があり、隧道名なども併せて教えていただいた。
 雨降隧道のデータについては、一応ネット上でも知ることができる。それは平成16年度道路施設現況調査を基に作成された「日本全国トンネルリスト」で、その中にはアメフリズイドウの名前がある。しかし、トンネルリストの場合、所在地が記載されていないうえ、市町村道の場合は管理している自治体名も書かれていないため、ある程度の目星を付けることはできても、確証を得ることができなかっただろう。

話が長くなった。隧道の中に入ろう。
名前のとおり、隧道内部は雨が降っているかのように常時水が滴り落ちてくる。
ここまで名前が似合う隧道も珍しい。
路面には河原にあるような丸石がひしめき合っている。

来た方を振り返る。
隧道の外はスラブになっているので、将来、浸食が進行すると隧道へのアクセスが困難になりそうだ。

隧道の途中には横穴が開いている。

更に進もうとすると路面全体に水が溜まり始めたので、最後にこの写真を撮り引き返すことにした。

この隧道は素掘、隧道前後のロケーション、体を表すような隧道名など、それぞれがうまく合わさることによって魅力的で印象に残る隧道になっていると言えよう。


(完結)


※参考資料

内閣官房 まち・ひと・しごと創生本部事務局・地域再生計画 「森林・観光」資源を活用した身延町・南部町地域活性化計画
身延町・身延の町誌「旧中富町の町誌」
身延町・身延町トンネル長寿命化修繕計画
(一社)全国林業改良普及協会・フォレスターネット 広域基幹林道「富士見山線」
国土交通省・道路メンテナンス年報
全国道路トンネルリスト〔平成16年度道路施設現況調査〕

1 件のコメント:

  1. 素晴らしいレポートありがとうございました。矢細工区民です。
    雨降隧道は物語があるんですよ。国立近代美術館に所蔵されている
    「あけぼの村物語」の絵画をご覧いただけたらとおもいます。

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