青梅街道明治新道・黒川通り(第1回)

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前説


前々から行こう行こうと思っていた場所にゴールデンウィークも終盤となった5月6日に訪問してきたので、その時の様子を紹介したい。

その物件とは国道411号(青梅街道)沿いの丹波山村から甲州市塩山一ノ瀬高橋にかけて残存する明治時代に開通した道で「黒川通り」と通称されている。

この道の来歴については、先人達により詳細に調べ上げられているため、ここでは簡単に紹介するにとどめる。

古来よりある青梅街道は新宿から青梅を経由し甲府へと至る道筋であるが、近世までは小河内から丹波山ないし小菅を通り大菩薩峠を経て、塩山へ抜けていた。
しかし、この道は大変峻険で牛馬の通行は困難であったため、時の山梨県令藤村紫朗により北側にある柳沢峠を経由する道が計画され、明治8年に着工、同11年に完成した。
新道の開通により塩山小田原から丹波山村鴨沢までは馬車が入れるようになった。しかし、それより東側、小河内から氷川の間などにも険しい箇所が数多く残っており、これらの道路改良に対し神奈川県、東京府が消極的だったため、この時点では都まで至ることは叶わなかった。
事態が進展するのは半世紀近くたった昭和初期、小河内ダムの建設計画が浮上してからである。
ダム建設に伴い、氷川側より順次自動車道化が進められ、途中に中断を挟みながらも、昭和34年に全線の自動車道化が完成した。
この際、山梨県内の区間は藤村県令によって作られた馬車道を改良するという方法が執られたが、丹波山村の船越橋から塩山一之瀬高橋の藤尾橋の区間については、車道化に適しておらず、対岸に新規敷設することになったため、明治の馬車道は破棄された。

その破棄された道というのが冒頭に述べた黒川通りというわけだ。


この道、「日本の廃道(以下「ORJ」)」で取り上げられ、知名度も高いはずだが、どういうわけかネット上では2007年の記録(ORJ)と2014年?の記録(時空散歩)のほかに詳細な記録が見当たらない。
ORJからは既に10年が経過しており、世紀に改めると10分の1世紀が経過しているわけだから、相応の荒廃が進んでいると予想された
今回は小さめな崩落も各駅停車で紹介して行くので、訪問の際の参考になれば幸いである。

本編の前に地図を確認しておこう。
地理院地図に黄色で追記した線が黒川通りのラインで、その延長は概算で6kmにもおよぶ。
見てのとおり全線が多摩川の右岸を通っており、三条橋以西では川より大分高いところに道が取り付けられている。
本調査においては事前調査により判明している三条橋以東の崩落地帯も然ることながら、以西の”安全通路撤去区間”の存在が走破における懸案事項となっていた。


本編


調査日:2017.5.6

国道411号の羽根戸トンネルを抜けて平成14年竣工の船越橋を渡ると小さな広場がある。
今回はここに自転車を置いて、徒歩での調査とし、塩山一ノ瀬高橋で現道に復帰した後、徒歩で自転車まで戻ってくる計画とした。

黒川通りへのアクセスは単純で、広場の向かいにある階段を昇るだけだ。

その前に現道から偵察をしておこう。
画像は広場から塩山方向へ進むと直後にある大常木橋から多摩川を挟んで向かい側を写したものだ。
初夏を迎え既に木々が鬱蒼としているが、肉眼でも石垣が確認できる。
うずうずしてきたな。

9:10
現在地:山梨県丹波山村
国道から28段の階段を昇るとその先に平場が続いている。
ここだけでも十分雰囲気を味わえそうだ。

階段を昇りきった時点から認識できるが、道は早速崩落に呑み込まれ跡形も無くなっている。
現地にはそれなりに鮮明な踏み跡が続いていて、これを辿って行けば安全に進めそうだ。
人間の踏み跡なのかは分からないが……

9:16
4分かけて崩落を抜けたその1分後、クレバスが現れるが勇気をもって降って登る。

山側にまとまった長さの空積みの石垣が現れる。
形は不揃いだが、それがかえって味となっている。
(黒川通りは全線に亘り多摩川の右岸に取付けられているため、今後、進行方向左側を山側、右側を川側と表記する)

9:24
比較的大きな崩落。
カメラは気持ち下向きに向けており、現地では画像左中央から上中央に向けてトラバースした。

この画像はトラバースを終えてすぐ振り返って撮影したもので、トラバースによって生じた落石でこれだけの砂煙が発生した。
ある意味爽快ではある。

9:27
続いて現れたのは灰色が目立つ所だ。
上、正面、下の3方向が岩々しい。

かなり切立った沢で路盤から川側に1歩のところでガクンと落ち込んでいる。

9:29
再び崩落地。
さて、どうしたものかと考えているときにこの道の現状を表すのに丁度良い場面があった。

少し強い風が吹いた直後に撮った動画だ。
渓流の音に紛れて油が跳ねるような音が聴こえるだろうか。
斜面を小石が転がり落ちて来る様子を私は真顔で眺めていた。(´・ω・`)

一応斜面真ん中を突き抜ける踏み跡があるが、後半の砂部分が不安なため、高巻きし、岩を手がかりにして進むことにした。
しかし、この岩も風化が進んでおり、こぶの部分を掴んだ瞬間剥がれ落ちたときには再び真顔に。今後、この辺りの岩を信用するのもやめておこう。

斜面を抜けて振り返るとご褒美というべき石垣を見ることができる。

9:37
崩落地を抜けて振り返った場面。
1度高巻きするとその後も高巻きをしたくなるが、ここは正面突破で抜ける。下手に高巻きすると余計に難易度が上がりそうだからだ。
砂地なのでよく崩れる反面、足もよく埋まるので滑ることはないだろう。
崩落地に突入する前にどちらの足から入って、どこに足を置いて、何歩で通り抜けるかをイメージするのが大切である。

9:40
ここまで大半を占めている道なのか斜面なのか分からないようなところを歩いていると、久しぶりの人工物が目に入った。

作業用と思しきピンクリボンとうち杭だ。
いつ付けられたのか分からないが、そう昔でもないだろう。

9:42
片足幅の踏み跡しか残っていない崩落地。
落ち葉の下に何があるか(踏んでも良いか)確認しながらトラバースする。

9:51
明治車道スゲー
ここでは纏まった長さの石垣が綺麗に残っている。

この道が60年位前までは現役だったんだなー

ここも石垣が積まれていたようだが、決壊してしまっている。
今後も傷口が広がり続けるのだろう。

さて、

この崩落をどう越えたものかな。


(続く)

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