青梅街道明治新道・黒川通り(第5回)

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13:21
現在地:山梨県甲州市塩山一ノ瀬高橋
訪れた平穏も束の間、再び崩落地が現れた。
安全通路撤去区間第二弾、平滑一枚岩区間である。
2014年の記録を見たとき、装備無しでここを突破できるかどうかが一番の気がかりであった。
不安区間を序盤に片付けてしまおうと藤尾橋側からのスタートも考えたのだが、無駄な移動工数が発生することや斜面が右半身にくること(何となく苦手)もあり、結局、船越橋をスタート地点にすることにし、当初の案では山側を高巻きする、無理であれば引き返すことを決めていた。
だが、案ずるより産むが易しとはまさにこのことを言うのだろう。
明確な踏み跡のほか残置ロープまであり、すんなりと渡ることができた。

無論、墜ちたら無事ではすまないことに変わりはない。

あと1.3km進めば国道と合流するはずだが、まだ結構な高低差(50m程)がある。

石垣の道。

そんな道を歩いていると再び崩落地が見えてきた。

13:33
安全通路撤去区間第三弾。
ここはまず斜面中央の倒木まで進み、その後は倒木をつたって突破した。
今回の調査を通じて、こういった場面では法面を左手で押さえつけながら、また、身体は法面とできるだけ平行にして進むのが良いことを学習した。
手は「押さえつけながら」というのがポイントで、ここで「掴んだり」すると脆くも崩れ落ちてくる。
身体については、腕の反動で体が川側に振れるのを少なくできるのと、万が一滑落したときに頭から落ちるのを防止できるためだ。

黒川通りの中でも1,2を争う美しさをもつ石垣。
沢を越える箇所であるが、この日も僅かに水が流れていた。

13:48
ここも沢に降りるのに神経を使った。
先ほどの沢よりも水量があり、ここに来るまでに汚れた手を洗わせてもらった。
冷たくて気持ちー

黒川通りの調査も終盤へ突入しているが、ここに来て道の雰囲気が一変した。
これが藤村県令が本来もっている優しさの現れなのかもしれない。
木々の中を4~5mの幅をもった道がゆったりと続いており、建設から140年、廃止から60年近く経った現在でもその路盤に草木が生えることを許さない。
その姿は作業道やハイキングコースではない、県道、国道の風格を纏っている。
これまでの険しい道も楽しかったが、ここを歩いている刻が一番幸せであった。


1分ばかり動画を撮った。皆さんにも空気が伝わればと思う(熊鈴がうるさくてゴメンネ)。

久しぶりに現代のアイテムを路面上に見つけた。
Aバリケードの一部で水源管理事務所と書いてある。
少し進んだところには支柱の片側が転がっていた。

山側の斜面を見上げると作業道らしき道が見えた。
人の温度が残っているような気がして、少し気が早いが人里に帰ってきた気持ちになった。

その作業道もまもなく合流してくる。
黒川谷から黒川金山までの登山道には藤尾方面の道標があるというが、この道がそれなのだろうか。

14:03
沢を右手に歩いていくと道が右へカーブし始める。
現役当時はここから大東橋という橋で沢を渡っていた。

右岸に橋台が残っており、その重厚な存在感は砲台跡と言われても納得してしまいそうだ。

現在は徒歩用の木橋が架かっており、我々はこれを渡る。
問題はその後、元の路盤まで復帰する必要がある。

目の前の石垣は黒川通り廃止後に施工されたもののようだが、一部で土砂が流失しており、上部のザレ場を歩いたほうが安全である。
まぁ、石垣が無ければこのザレがすべて流出して岩石だけになっていた可能性もある。そうなれば、ここの難易度も数段上昇していただろうから、幾分の功績を認めても良いかもしれない。

路盤に復帰すると最大級の掘割が待ち構えている。
逆三角形が美しい。
ちなみに左にある標柱は林班界標10/11を示している。

黒川通りともいよいよ別れの時が来たようだ。
下り坂を下っていくと前方に橋が見えてきた。
終点、藤尾橋である。

現在の藤尾橋は昭和43年完成の人道用の吊橋で黒川通り廃止後に架け替えられた。旧橋は50mほど下流に架かっていたようだ。
木板の一部が脆くなっていたので、一応主桁の上を歩くのが賢明かと思う。

今一度、来た道を振り返る。

14:15
国道411号に復帰。
船越橋から始まる6kmの廃道を5時間かけて無事走破した。

藤尾橋の全景を見て、この場所を後にする。
さあ、帰ろう。

15:46
ただいまー
良かったー盗まれてなくて(汗)

国道(往路と変わらない6km)を1時間半かけて歩いて帰ってきた。
1時間位で戻れるかと思っていたが、疲れた足がそこまで早く回らなかったようだ。
それでも往路の"3分の1の時間"で"安全”に戻ってこれたことに維持された道路のありがたみを改めて実感した。

後半の調査の助けとなってくれた木の棒にも礼を言う。
一緒にいた時間は4時間程だったが、既に愛着や信頼感のような感情をこの子に抱いていた。
とはいえ、家に持って帰っても仕様がないので、黒川通りに戻すことにした。
船越橋の階段を昇って直ぐのところに立てかけたので、自由に使ってほしい。


今回は人生初となる明治車道の現地調査を行ったが、開通当時の面影が強く残る道をこの足で歩けたことを大変光栄に思う。


(完結)


参考資料

日本の廃道・特濃!廃道あるき 新青梅街道「黒川通り」
http://core.the-orj.org/ORJ_0001/
時空散歩・青梅街道 廃道散歩
http://yoyochichi.sakura.ne.jp/yochiyochi/2014/11/post-272.html
奥多摩町誌編纂委員会(編)・奥多摩町誌 歴史編
キリン・歴史ミュージアム 酒・飲料の歴史  コラム「1965年プルトップ缶ビール発売」
http://www.kirin.co.jp/entertainment/museum/history/column/bd087_1965.html


変更履歴

2017.5.24 公開
2019.7.1 移転に伴う改訂

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