青梅街道明治新道・黒川通り(第4回)

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12:07
現在地:山梨県甲州市塩山一ノ瀬高橋
行政の「道ありません」宣言を受けて斜面を眺めるとなるほど確かに道が無い。
だが、案ずる必要はない。過去の地形図と現地の風景を照らし合わせればおのずと道は見えてくる。
視界の右上に見覚えのある石垣が見えたのなら、あとはそこを目指して登るのみだ。

よじよじ。
転ぶと全身砂まみれになること必至なので両手を使いながら黙々と登っていく。

12:13
一応平場と呼べるのかな。
しかし、ここには今まで随所で見かけた鹿の糞すら無い。いつにもなく動物の気配が希薄な場所だ。

ところで、冒頭、現在地のリンク先(マピオン)を開いて拡大すると面白い現象が見られる。
なんと、地理院地図には描かれていない黒川谷から藤尾橋までの道がはっきりと描かれている。
さらにゼンリンのお膝元「いつもNAVI」では、高倍率でなくともこの道を確認できるにとどまらず、徒歩の場合は経路検索にもヒットする。それによると三条橋から藤尾橋まで所要時間1時間とのこと。
付近のバイパス旧道が地図から姿を消すなか、何を思ってそれより古い廃道がいまだに描かれているのかは不明だが、せっかくなのでこのままひっそりと残って欲しい。
それか「乗って残そう運動」ならぬ「歩いて残そう運動」を展開し、多くの踏み跡を残していけば、現役の道として今後も描かれ続けるのかもしれない。

斜面を登っている最中に拾った木の棒。
8、90cmほどの長さで登山ストック的な使い方ができそうだ。
事実、この後第3の脚として小崩落を主に活躍してくれた。

黒川谷を越えて路盤に復帰して以降、大きな崩落の無い歩きやすい道が続く。

12:21
尾根を回り込む場面。
地面にある何かが目に写った。

キリンビールの空き缶だ。
調べてみると昭和40年発売当時のデザインらしい。

この辺りから倒木が目立ち始める。

上手い具合にくぐることができるので特段問題はない。

稜線が見えると歩いていて気持ちが良い。

12:38
久しぶりの崩落地(クレバス)だ。
午前中に船越橋三条橋間を抜けてきた我々ならば朝飯前であろう。

そして、石垣の道。
いやぁー、平和すぎて書くことが少ないのですよ。

12:48
あった。馬頭観音碑だ。
前半の疲れからか後半は機械的に歩いている部分があったので見落としていた可能性もあったが、ふと立ち止まれたのは供養塔の放つオーラ故か。

今では人も滅多に通らないであろうこの地に安置され、毎日何を思っているのだろう。ひどく孤独に思えた。

山の中にマリモがこんなにたくさん。
ではなく、石が苔むしているのだが、ひとつではなく一面の石全てが苔むしているのが面白かった。

滅多に見ることのできない(はずの)石垣の断面図。

13:10
再び尾根を回り込む。
ここには錆びついた林班界標のほか、東京都水道水源林の木標があり、昭和四十七年十一月と書かれている。

ちなみに話の真偽はともかくとして、この尾根を下ると国道411号旧道の花魁淵まで(地図上は)行くことができるが、これは下り始めたら戻ってこれないやつでは?
この尾根を下らせられる遊女は死刑宣告をされた気分であっただろう。またはここから突き落とされたとか。

13:14
ついに来たか。
水道水源林の木標を過ぎると道は左へカーブするが、西向きの斜面となったためか、路面を軽く藪が覆っていた。
その藪を抜けるとご覧の崩落地が目に入る。

安全通路撤去区間の第一段。
以前は梯子が架かっていたとのことだが、既に跡形も無い。
更にその前、現役当時はと言うと橋が架かっていた。
その両者が存在しない現在では、己の力で崖を登るしかないが、沢に降りるまでが既に怖い。

直下から見上げた画。この威圧感である。
いい具合に手足の置き場があるので三点支持を意識しながら登っていく。

なんとか登ることはできたが、もし引き返すことになった時に無事に降りられるだろうか。

進行方向へ向き直ると一時の平穏が訪れた。


(続く)

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