国道411号旧道(第2回)・柳沢峠南麓

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第2回の今回は塩山下小田原から塩山上萩原にかけての柳沢峠麓までに存在する、以下4ヶ所の旧道を紹介する。


11:28
現在地:山梨県甲州市塩山上萩原
現在地は小田原橋手前の現旧道交点。旧道は写真右側を直進する道で、突き当りをカクッと左折して橋を渡っていた。

現在は同じ位置から歩道用の橋が架かっているが、この橋は対岸まで渡らず川を斜めに渡る車道用の橋の中間あたりで合流する向きに架かる構造になっているため、対岸には使われていない旧橋の橋台が見える形で存在する。

旧橋は1車線分の幅しかなかったようだ。

振り返って渡ってきた方向を撮影。対岸の橋台は流用されている。

見ろ、バスだ。1台のバスが大きなエンジン音を響かせて脇を抜いていった。山間部を走る路線バスには惹かれるものがある。

11:53
現在地:山梨県甲州市塩山上小田原
標高400mの甲州市役所から6.9km進んだ現在の標高は770mである。柳沢峠の標高が1472mであるから、既に3分の1強上っている。
現在地(B1地点)から左を上っていく道が旧道で、現道がヘアピンカーブ1つを使って稼ぐ標高を旧道は直線で結んでいる。

旧道沿いには萩原口留番所跡を示す説明板がある。甲州街道とは異なり、江戸時代の青梅街道には関所は無かったが、この番所が事実上関所として機能していた。

旧道を振り返って撮影。自転車には厳しい上りで、手前の家の玄関の高さに隣の家の2階があることからも、その勾配ぶりが伝わるだろうか。

この橋は番屋橋という。竣工は昭和35年とそれなりに古い橋だ。

橋を渡ると、まもなく現道の2度目のヘアピンカーブ折り返し部分に合流する。

先程のバスが折り返して来たようだ。車種はいすゞのジャーニーKというらしく、都市部を征しているエルガやエアロスターに見慣れた者からすると懐かしさを感じた。

12:13
現在地はB2地点。
旧道は現道より150m下流で重川の左岸へ渡る。旧道の入り口にあるこの橋は祝橋という。

旧道は2車線の道でヘアピンカーブ1つを使い標高を稼いでいる。祝橋の先から写真中央のカーブミラーの所までを直線で結ぶ道があるが、これは旧旧道なのかもしれない。

カーブを曲がり終えてすぐ、左側から現道が合流してくる。
ちなみに明治11年に柳沢峠を越える道が開通する以前の青梅街道は、青看の先の丁字路を曲がり、大菩薩峠を超えて小菅村の川久保を経由し、奥多摩の小河内に抜けていた。

そう言っている間にも道は順調に標高を上げていく。

12:24
現在地はB3地点。
左に別れる旧道は、ここからZ字の線形をしており、現道は字の始点と終点を直線で貫く形になっている。

途中、上室床橋という橋があり、全面通行止の看板が立てられていた。確かに橋上の路面は結構傷んでいる。

橋を渡ると道は右折する。写真は右折後、少し進んだところで振り返って撮影したもので、旧道が現道に合流、又は現道が旧道を横切っている。一応背後に古そうな道が続いている。

背後の旧道は現在、温泉旅館のアクセス路として使われているようだ。地形図を見ると、この先の現道に合流するはずだが、見える範囲は下り坂で獲得した標高を下げたくなかったので(横着!)、現道を進むことにした。

現道を200m程進むと、谷側から旧道が合流してくる。旧道の出口付近で大型犬が仁王立ちしていたため、結果的に現道を通ってきて正解だった。


次回から上萩原バイパス区間に入り、本格的な山岳道路の始まりとともに廃道ラッシュとなっていく。


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